Happiness is overcoming your fears
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 That's my soul up there


 ニーチェとかバタイユとかサドとかマゾッホとか、そこら辺の仔らと真面目に付き合ってこなかったのは気恥ずかしいから。ニーチェに関しては小さい頃に「太陽の隣人だってよ!」などと言いながら男子寮の一部界隈で流行った程度。なんとなくキメ台詞の多さと威勢の良さに辟易しつつ。

 最近Twitterってサービスでよく遊んでいるのだけど、そこでバタイユが愉快なことを頻繁に呟いていて、「この仔はパッパラパーなのかしらん」と思いつつ、魅かれていることに気付くのにそう時間はかからなかったと言う。畏友曰く「あいつ、サルトルがノーベル賞獲ったから、次は僕かもって身構えてたらしいよ」とのこと。

 で、ね。この期に及んでバタイユ・デビューしたのさ。『内的体験』は何かしら切実なことが書いてあるように思えるため、Kawaii。それは結構だが、同時期に買った『切りとれ、あの祈る手を』にしてもそうだが、事あるごとにニーチェを参照していて、落ち着かない気分に。

 全世界的に今ニーチェとゾンビが流行っている(ドイツ人とイギリス人はゾンビ大好きみたいですよ)と不当前提すると、両者は「この全てが翳り衰弱していく世界の中、私はこんなにも生きているぞ!」と主張する点で通底するように思われるよ。ジェイン・オースティンとセス・グレアム=スミスの『高慢と偏見とゾンビ』のあらすじを参照しよう。

 18世紀末イギリス。謎の疫病が蔓延し、死者は生ける屍となって人々を襲っていた。田舎町ロングボーンに暮らすベネット家の五人姉妹は少林寺の手ほどきを受け、りっぱな戦士になるべく日々修行に余念がない。

 ……何を……言っているの? でも、そうだね。冷たい風の中ほてほて歩いていると、ふと自分の生命が枯葉程度に感じられることがあるものね。心細くなり、ふと谷山浩子の"ガラスの巨人"の「悲しみが攻めてくるよ/もっと大きくなれぼくのからだ」って一節が狂う程に鋭いアイスピックのように感じられる。

何だか、生き方を度忘れしちゃったかの如くに。
何だか、生き方を度忘れしちゃったかの如くに。





2011⁄01⁄31 21:02 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(2) trackback(0)







 That's my soul up there


 懸賞的なものに当たったことがほとんどない。

 SEさん、ダウンそして復帰。「仕事が夢に出るって産業医に行ったら、そこにすげぇ食いついてさぁ。あとマネージャーも」当のマネージャーの謂いは「俺もエンドユーザーにすげぇ怒られて6kg痩せたけど、大丈夫だ」今――貴方、は様々な看過し辛いものをオフロードで踏み越えたね。

 そういうプロジェクトですが、1週間ほど不気味な凪が続いており、20時には現場からFar Away出来ている。私たちは語り合う。「こんな日が来るなんて思わなかったよねぇ」ええ、本当に。平日に私の人生が在るなんて、まるで夢のような事態だ。気分は高揚する。中野から高円寺まで毎日歩く。健康に対し、貪欲な姿勢を見せたい。

 時間が出来たら散歩とか、命の使い方を間違えている気がする。
 優先順位を正しくソート出来ていない気がする。

 かような懊悩の中にいて、私は会社の新年会ってヤツに行きます。おお、どこぞのビルのフロアを貸しきって立食パーティだなんて。前いたところでは考えられない贅沢じゃないか。同時に知り合いもいないため、早々に壁の花を余儀なくされる。I Bet I Don't Look Good On The Dance Floor(Or Other Else Places)

 そこで私はプロジェクトにて我々が勝ち取ってきた信頼と謝意を始めて聞いた。正直、酷いプロジェクトだと思うし、腹に据えかねることも多い。利益と自意識により論理が醜く捻じ曲がっていくのはなるべく見たくない光景だ。でもエンドユーザーともんどりあって、その結果が(おそらくどんな形であれ)返って来るポジションにいるんだな、と知った。

 そして私はくじ引きでハイボールセットを当てましたよ! 「去年流行ましたよね!」と司会者に言われて「え、そうなの?」みたいな顔をしましたよ! それはある種の危機ではないのか。最終的にそのハイボールは行き着けのサロンでみんなで美味しくいただきました。何とかっていうわりといいウィスキーだったみたいよ。ステキな年になれよかし。

ただし、記念写真を撮られた際、寝癖だかなんだかで前髪がはねていた。
ただし、記念写真を撮られた際、寝癖だかなんだかで前髪がはねていた。





2011⁄01⁄25 21:00 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(0) trackback(0)







 That's my soul up there


 避けろ! 虚無が感染るぞ!

 この歳になって偏頭痛なんて腹に据えかねるものであることが発覚すると同時にMRI初体験したってのはこの前述べた通り。その結果「不審な影が!」ペンタグラムを逆にしたような形(見よ、それは黒山羊のようではないか!)ではなかったのが不幸中の幸い……なの?

 そんなわけで心待ちにしていたMRI再検査。何故なら仕事を休めるから。それと同時にほんのり怖くなり、意図せず徹夜してしまう。悪魔城に直行だ! 寝転んでゲームでレベル上げをするよ。自動レベル上げポイントを発見し、もはや私が関係しないところでゲームが進むよ。

 今度の検査では造影剤を使うそうだ。副作用も懸念される薬らしく、全身に痒み/吐き気/ショック死等の事態に備え、スタッフがフルコミット出来る状況じゃないと検査できないため、病院が開く10分前にはお前はそこに居ろ、とただでさえ朝が弱いに私にそのような……死!?

 かくして2度目のMRI体験。狭いところに閉じ込められてインダストリアル・ノイズってのは、私にとってそこそこ苦しい。そこでこの徹夜が活きてくるって寸法さ。Sleep Alone Suck? いいや、上等だね! ……かないで……さい……うご……遠く聞こえる誰かの……。

スタッフ「寝返りうって、写真が撮れてない可能性がありますため、もう一回です」

 酷いよ! このサディスト! たっぷり輪切りにされた(二度も)結果、ほにゃほにゃ静脈腫であるとのこと。何か字面は恐ろしげだけど、動脈と違って随分と安全で、治療とかしないで過ごしちゃう人も多いんだってさ。ちなみに生まれつきなんだって。

ゆ 「……という結果でした。まぁ、問題ないみたいです」
部長「脳にねぇ……ああ、だからかぁ……」

 え?

代わりに<死が視える目>とか備わってればよかったのになー。
代わりに<死が視える目>とか備わってればよかったのになー。





2011⁄01⁄21 21:00 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(0) trackback(0)







 That's my soul up there


 でぃしぷりん(新年明けましておめでとうございます)! 今年も宜しくお願い致します。

 ……なんだよ。明けない夜はないというのは、果たして本当だろうか。それは検証済みであろうか。経験的にいつも夜は明けている/すなわち、明けない夜はないという命題は、臆断であり、それは知性の怠惰ではないのか。明けない夜もあるのではないか。

 昨年を振り返りて思うに。長期出張を言い渡される/会社が潰れる/振られる/デスマ/腸炎/偏頭痛/銀歯が取れる/偏頭痛/脳が!/デスマ/デスマ/デスマ/試験、落ちてた……最早運命に抗う気力もなく翻弄されるに任せる左廻りの一年であり、それはもう思わず天に振り上げた拳から人差し指と小指が立ってしまい図らずもSign Of Hornsでした。悪魔!

マネージャ「ゆが行かきゃダメなのは病院じゃなくて神社だと思うよ」

 かくして年末年始もお仕事でしてね。正月がただの3連休に! Fuck! ケツは神って野郎に貸してやってもいいが頭は俺のもんだ! ダメなDVDとそうでもないものを山ほど借りてきて、部屋に閉じこもる。煙草の煙と暖房で酷い空気の中、口を開けてぼんやり映像を見てミサントロピック・ハイ。

 そしてようやく、私は年が明けたと、宣言するのです。然り、然り! 明けない夜も明けない年も終わらないデスマも、ある。私は時間ってやつに切れ目を入れ編集した。今年こそはハッピーになろう、と。バンドしたいし、色んな場所に行ってみたいし、色んな人に会ってみたいな。

はじまるよー。
はじまるよー。





2011⁄01⁄17 21:00 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(2) trackback(0)







 That's my soul up there


 凍罪線に乗って辿り着くのは死の都也。

 何にせよ、いつもなら座って帰れるのに、金曜日の夜などは楽しい呑み会の帰りと思しきパーティ・ピーポーにて混雑するともなれば、私の憎しみは弥増す。なぁ、サンタさんの服がどうしてあんなに赤いか、あんた知っているか。

 そんな中、猛禽の勢いで座席を確保したれば、隣には膝の上に幼子を乗せたお母さん。幼子は小さいながらも、世界に愛されるという重大なミッションを粛々と遂行しており、色々なことに興味深々。あらゆるものに関心が移り、忙しい。

「これはいちご?」
「そうだね、いちごだね」
「あおいの?」
「それは緑だよ」
「でもあおいよ」

 言葉を覚えたてのようで、はたから聞いているとよく意味が解らないのだけど、その一言一言に丁寧に答える母親。ああ、あれは。意味を伝達せずとも、ただ喜びとしてのみ存在する語らい、ただ喜びとしてのみ存在する語らいじゃいないか。そして――言葉の途切れ間に、幼子の髪をすき、感極まったように頭を撫でる、その電撃のような。

ああ、私にもあのように人を愛する能力よ、宿れかし。
ああ、私にもあのように人を愛する能力よ、宿れかし。





2010⁄12⁄22 21:08 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(0) trackback(0)









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職にちょっと馴れてみれば
即「還俗した」などと抜かしてみる。


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