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 That's my soul up there


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パパは多重債務者 / 桂みなみ

 友人のお友達から本をいただきましてん。私、サイン本って人生2冊目だよ。1冊目は有栖川有栖先生の『双頭の悪魔』。親が多重債務者ってドキュメンタリーなのだけど、実際的な手立てがサラッとしたタッチで描かれており、読後感も爽やか。

 でも、作者のお父上の言動が、ここ最近私が考えていたことと近い感じがしたので、私はそっちの話をしようと思う。

 あのさ。人間は物語に呪われているってのはよく聞く話でさ。シモーヌさんも仰っている通り、人間は点が2つあれば線を見てしまうのだし、3つあれば顔を見てしまうのだし。何かがあって、また別の何かがあれば、私たちはそこに関連性を探してしまう。

 そのようにして未来へ未来へ事象をつなげていって、そこから遡って現在の自分の行いを見るのだと思う。それが物語。私たちはきっと、それ無しでは生きていけない。その物語がどのような性質のものであったとしても。

 例えば。賭けの負けがこんでくると、こういう思考が頭をもたげる。「これだけ悪いことが続いたから、次はいいことがあってもいいはずだ」とか「いいことが続いているから、今波に乗っている」とか。そんなこんなで私はRPGにカジノがあると、だいたいそのゲームは頓挫する(お陰で現実の賭け事とは無縁なのでよかったです)。

 差し出す何かがないという思いに取り憑かれている、自尊感情が損なわれた状態でも、貨幣があれば何にせよ交換の場には居れるってのが、借金の恐ろしいところじゃないかな。そして交換の場に居れば、語る者と聴く者が居れば、物語は生命を得る。

 作中、筆者である娘に金策する場面は何だかドストエフスキー的だけど、そこには必ず物語があるのって、何だか象徴的。「○○円貸してくれ。必ず返すから、今は何も聞いてくれるな」という風にはならない。

 人にとって、交換の場から締め出されることってことはとても恐ろしいことだと思う(自尊感情が損なわれた状態にいる人は一般人よりその恐怖に敏感かも)。だってそこには物語がないから。およそ無意味に事実のみが偶発する荒野を、村上春樹は"システム"と呼ぶよ。

 じゃあその物語の呪縛ってやつをどうすれば無毒化出来るのさ。正直、解らない。私は私のフレームワークを踏み砕くような、より強い物語によって何度も何度も致命的な場所から救い出されてきたと思うけれど、それってただの偶然で、それこそ偶発性様の思し召しかも知れないなぁ……ぐぬぬ。あ。

肩の力を抜くことと、ゆっくり沢山歩くこと?
肩の力を抜くことと、ゆっくり沢山歩くこと?





2010⁄12⁄03 21:00 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(0) trackback(0)











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