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 That's my soul up there


 これから書くことは何人かの人を怒らせることになるかも知れないけれど。

 あのほら、暴力装置云々の話。自衛隊が暴力装置以外のはずがないだろう、と思う。武装した組織が「バスケットいっぱいの仔犬ちゃん」だとでも言うつもりか。というか、政府自体暴力装置だと思うのだし……とグルグル考えた。

 そもそも。何かをコントロールすることを可能にするものって、全部暴力のヴァリエーションと捉えたほうがいいように思う。リーダーシップを奥底で支えるのは、リーダーの人徳ではなく、リーダーの指示に従わない場合、処罰する権利を行使できるってことだ。

 美と暴力は背馳しないという直観を例に挙げると、ご納得いただけるかも。

 で、ね。大切なのはその先でさ。我々は首までどっぷり暴力に浸かっているものとして、そこでどう振舞うべきかって方向に目を向けようぜ。我々の眼の前に赤ちゃんがいる。我々は頬をはる代わりに頭を撫で撫ですることが出来る。そのように選択し得る。

 神の似姿として他者を描き、その全く以て受動的な描写は、どこか死体に似る、いつものテディ・ベアっぽい叔父様のお知恵を拝借すると、私とあなただけの関係であれば、暴力を制御するのは愛です。

 しかし、そこにもう一人誰かがいたとすると、必ずそこには序列が生まれる。かような局面において暴力を制御するものを、我々は正義と呼ぶ。残念なことに、この正義ってヤツはまま上手いこと動かないし、理不尽で不条理な暴力は今、ここにある。

 どうなってんだ神。お前、いちいち仕事が雑なんだよ。

 でも、そのような何やら<父>とかそういうのが暴力や邪悪に関して逐一キチッとやるべきことをやってくれたとして。そこに我々個々人の営為や不断の努力なんていらなくないか。我々は赤ちゃんの頬をはり放題とか、どうなのさ。そう考えると、善意の顕現ってヤツは常にこの世に生きるものにより行われるべきなんじゃないかって。

大人になるってのは健全に暴力を運用することだと思いますのだ。
大人になるってのは健全に暴力を運用することだと思いますのだ。





2010⁄11⁄23 21:00 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(0) trackback(0)











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