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SeasonNoir

黒い季節 / 冲方丁

 ノワールと一口に言うと大変話が乱暴になるのだけど、ジェイムズ・エルロイ(エルロイ大好き!)とかの小説って、娼婦と悪徳警官とマフィアと異常性欲をかかえた殺人鬼ばっかり出てくるわりに、主題としては、ただただ<寂しい>であるように思う。

 あ、ノワールを駆動するのは<母>です、多分。

 暗さが必ずしも光の不在を意味しないのと同様、<寂しい>ってことは必ずしも愛の不在ではないように思える(これは宿題)けど、とにかく。冲方丁ってやっぱりそっち側の作家で、『マルドゥック・ヴェロシティ』とか、SFの皮被る意味あんのかってぐらいノワール。

 快楽殺人鬼がノワール人のトラウマだか欠如だかコンプレックスだかで、冲方丁の小説にはよく拷問と変態が出てくるよ! 愛のない暴力の物語は可能であり、暴力のない愛の物語も可能である。しかし、邪悪は愛と暴力が絡み合うところでしか描写出来ないってのは、このことかも(これも宿題)。

 先日読み終えた『黒い季節』の第一印象は「あんま面白くなかった」だ。急ぎすぎている気がするし、今何が起こっているのかよく解らないところが散見されるし。でも何かをほとんど獰猛なぐらい希求しているのだけはイヤと言うほど伝わって来るから、色々考えていたら、上記のようなことを連想した。

 おそらく、この本はとてもパーソナルなもので、だから説明したり溜めを作ったりということがないのだろうな、と思いついて、腑に落ちた。あの「言葉を持ちなさい。存在の孤独は、孤立を意味するものではないはずです。他者の言を食みなさい。他者に言を食ませなさい」という一節は、名乗りだ。

 「俺は<物語>により世界にコミットします」と、何か大きいものに対して宣言するため、ただそれだけのために書かれた書であるように思う。ほとんど内臓を焼くような劣等感や寂しさに対し、闘うことを選んだ人ってのは、確かに存在していて、そのことは私やあんたにとって、とても善いことであるように思いますよ。

あるいは、何処かの誰かにとって。
あるいは、何処かの誰かにとって。





2010⁄09⁄12 21:00 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(0) trackback(0)











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