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 That's my soul up there


 全体性と無限について

 レヴィナスの主著に『全体性と無限』ってのがあって、これが実はよく考えてみると、逆の概念なのね。『全体性 ≒ 無限』という意味じゃなくて、むしろ「右と左」みたいな。個々の部分が全体を構成し、それが世界の総体であるという考え方をレヴィナスとかは「存在論の帝国」とか呼んだりするよ。

 ややこしいね。

 無限ってのを想像してみよう。出来たかな? では、君のその脳味噌の代わりに藁とか綿とかステキなものが沢山詰まった、愛らしい頭がひり出した無限に + 1したらどうなるだろう。プフイ! 果たしてどうなるだろう! それも無限ではなかろうか。では、それに + 1したら……という事態をして「人間が無限を認識するには自己参照しかない」という一派もいて、円城塔とか、その辺意識的だと思う。

 話が逸れた。しかし、そもそも辿るべき筋など最初から用意されているのだろうか。もうこのまま行っちまえ。「似ている」という現象が「構成する部分に共通のものが多い」ということを意味しないであろうことは、皆さまご存知の通り。山田正紀のスローガンは「想像出来ないことを想像する」でしたっけね。

 私たちは巨大な質量の爆発を瞬き(Twinkle)と称し、それを星と呼び、人類の中のOutstandingな者をスターと呼ぶ。厳密に右辺と左辺が調和する、<定義>ってヤツをありがたがるのって、欧州的(しかも限られた時代)のお作法であり、それって随分ローカルな話なんじゃないの、って程度の節度だかブレーキだかは必要なんじゃないかな?

 女の子が行うらしい、<女子会>なるKvlt(きっとそれは正視に堪えないおぞましい死の儀式であるでしょう!)の対になるものが、男性のほうにもしあるとすれば、という風に保留付き/条件付きの話ではあるけれど、そんなことを主に喋りますよ、男子会では。

もう、モテるとか、モテないとか、さぁ。
もう、モテるとか、モテないとか、さぁ。





2010⁄08⁄30 21:00 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(0) trackback(0)











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