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 Why So Serious? 『フェイク・シティ』


FakeCity

『フェイク・シティ』

 『ブラック・ダリア』を見たときのご飯の中に小石が混じってた感じ、あれは今思い出しても上手く飲み込めない。ちょっとウェット過ぎるんじゃないか/演劇調過ぎやしないか/え、結局そんな話だったっけ? 監督がブライアン・デ・パルマ、15歳貸出禁止ってあたりに対する私の想いは塩の柱となり果てた。

 吹抜けのホールの上階から薄気味悪い婆さまが誇らかに狂った倫理観を垂れるシーンやどいつもこいつも思わせぶりな様子、建物が陰影濃く美しく撮られている様など、面白いところもあったんだけど、エルロイはそんなんじゃねーだろ、と途中何度も我に帰る。デ・パルマ的、あまりにデ・パルマ的。

 『ブラック・ダリア』は少女娼婦が惨殺され、それを追う2人の理性のたがが外れていく物語。年齢制限が設けられていることから、どんなに私の心をひび割れさせ、荒らしてくれるのかとワクワクしたのだけど、デ・パルマ叔父さんは少女娼婦と娼婦にこれでもかと執着する。お陰であっちでイチャイチャこっちでイチャイチャし、惨殺方面はわりとご無沙汰。そっちかよ。えっち!

 で、当のジェイムズ・エルロイ御大が自ら脚本した『フェイク・シティ』を見て、とっても心は荒れて、喉も潤って、大満足という話をしたいわけだよ。どっちかというと可愛い顔のキアヌ・リーヴス(ラドロー/悪徳警官)もアルコールとのっぴきならない状況で何だか常時顔色が悪く、目付きもドロッとしており、大変好ましい。

 悪徳警官、強請屋、快楽殺人鬼、娼婦、あるいはマフィアぐらいしか出て来ないと言われるジェイムズ・エルロイの物語ですが、今回はちゃんと韓国人とか看護婦さんとか出てくるよ! 韓国人と言ってもマフィアで変態だし、看護婦さんと言ってもせいぜいラドローのウィーケスト・リング程度の役割しか果たさず、物語の機能としては娼婦と大差ないのだが。

 いつものエルロイ先生でした。

 潜入捜査ついでの激しい銃撃戦の末、ラドローを取り巻く状況はあれよあれよ縺れ絡まり、彼を不安と恐怖の淵に押しやって行く。この焼けた石を抱かされているような感覚! 最高だ。チンピラを人物像が描かれた看板ぐらいにしか思ってない風に締め上げ、射殺するラドローはまるでそいつらに恐怖を肩代わりさせているかのよう。

 恐怖とか罪の意識とか周囲の身勝手な欲望とか、そのようなおぞましい何かから目を背け、背中を灼かれるようにして手を汚し続けるその先、ある種の聖なる地平へと誘われていく姿が、どうしようもなく切ない。これは生活の苦しみが人間の観念を作り上げるのと並行的だ。

 そう言った意味で、エルロイ先生はドストエフスキーの『悪霊』や『罪と罰』的な主題そればっかりを書いていると言ってもいいと思う。足元を切り崩され続けた結果、そこは空でした。人間なんてゴミに見えるぜ、といった風情。かくてクルクル回って落ちてより低い場所に叩き付けられる。そのスピード。

 教訓:ちゃんと相手が先に発砲したように偽装するのは大人のマナーです。






2009⁄12⁄26 21:00 カテゴリー:感想と雑感 comment(0) trackback(0)











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