Happiness is overcoming your fears
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 That's my soul up there


braban


津原泰水 / ブラバン

 ええ、ええ。あのウクレレのG線を弾く描写に1ページ近く割く(弾いたキャラクタの漏らす言葉が「鳴るね」ってのがまた渋い)津原泰水が音楽を描いた小説です。そりゃあ素晴らしいに決まってますとも。

 ……なんてことをイタバシさんと話していて「でもだからこそ期待が大き過ぎる気がして読むのが怖い」という意見の一致をみた。俺はついに禁断の領域に足を踏み入れちゃうぜ。図書館から借りた本だからポストイットは挟むまいと思っていたのに、読み終える頃には本の頭からモジャモジャ。

 丁寧に高校時代の思い出を織るそのジェントルな手つきに溜め息が出ちゃう。涼風のように飄々としていて、奇跡のように瑞々しい。もう登場人物紹介の欄に目を走らせただけでこの本が大好きになってしまうのだぜ。

 ストーリーは高校時代のブラスバンドを40歳前後の連中が再結成させるというもの。現在と過去を行きつ戻りつしながら進む話の甘いこと苦いこと。煌くような過去の話が麗しいのは勿論のこと、時間の砂がわりと沢山降り積もった感じの現代のパートも、どこか凛と透明で、不思議と腑に沁みる。

 そして随所に顔を覗かせる、音楽の威光の目を射らんばかりの眩さ! なんという崇高! なんという郷愁! 予め失われた故郷の残り香をたぐるような、甘やかで息詰まる描写ときたらどうでしょう! 思うに。津原泰水を彼たらしめているのは、その見事な文体よりも、むしろ信仰の強度じゃないだろうか。ときおり氏の小説は、小説の名を借りた激越な祈りのようだ。

 にもかかわらずニュースは、それまで確固としていた世界が傾斜しはじめたような感覚を僕に与えた。僕が信じていた世界は、才智や芸術に対してはそれが少々独善的であろうとも寛容で、過大評価すらならともかく息の根を止めるはずなどなかった。ジョン・レノンは絶対に安全なはずだったのだ。

 津原泰水『ブラバン』p.211

 ちなみに8年間少女小説を書いていたという津原泰水の、そのシリーズをイタバシさんは持っているらしい。誰に向けたものとも思われない、その妙に複雑に入り組んだプロットを聞くにつけ、そりゃあ神経もぶっ壊れるよなぁと思った。


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2007⁄10⁄25 23:46 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(2) trackback(0)







 That's my soul up there


 色々と、心に贅肉が付いてきたような、居心地の悪い気分になってきて、「本を売ろう」という逃れ得ぬ衝動に襲われた。私の部屋はちょっと前から危うい均衡の上に成り立ってきたように思う。ハムスターの一家よろしく増え続ける蔵書の山と、収納スペースの喫緊の均衡である。均衡、などと云っているが、実際のところ本が床を侵食し始めて久しい。

 そんなこんなで宅配買取をしてくれる古本屋さんに目星をつけ、徹底的な蔵書整理を断行した。部屋のあちこちに積んである本の山を切り崩し、既読本入れスペースに選別の視線を走らせる。惰性で読み続けていたシリーズものをまとめてダンボールに詰める。高校の頃から何故か手元に置いていた『OZ』というマンガも新しい主人に手にとって貰うべく放流。クライヴ・バーカーの『死霊都市』まで出土するに至っては眩暈が

 かくして、放流すべく本を詰めたダンボール、その数6箱。

 世のビブリオ・マニアにしてみれば文盲なんじゃないかってぐらいの少なさかもしれないが、軽く呼吸が苦しくなるレベルの圧迫感をもって部屋を占拠する忌々しい紙の箱の、その<モノとしての存在感>を前に、世の一切の暗黒が噴出したような、こう……。

 指定された手続きを踏み、運送会社に電話したところ、休日の夕方という時間だってのにニコニコ取りに来てくれてテキパキ運んで行ってくれた。さらば、さらば。私を育て、私を形作り、私を縛っていたものたちよ。新しい主人によろしく。

 まだまだ本は部屋に山と詰まれているけれど。





2007⁄10⁄24 23:32 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(0) trackback(0)







 That's my soul up there


 軸のぶれを波動と考えろ

 毎年9月、晩夏に私を苦しめていた放生会という祭がある。思索に耽ると云えば聞こえはいいが、人文系の樹海にずぶずぶ入り込み、鬱屈に鬱屈を募らせていたというのが正確なところ。そこに季節の変わり目の不安定な精神状態、家からほど近いところでがなり立てられる呼び込みの声――私がどれほど追い詰められていたことか!

 そんな放生会だが、会社から帰る道すがらの交通規制を見て「ああ、もうそんな季節なんだなぁ」という静かな感慨を得る程度には距離を置いて接することが出来るようになったので、私はハッピィだ。冒頭に引用した詩が出てくる『人として軸がぶれている』という大槻ケンヂの曲を夜中に聴いておろおろ泣くなどということをしていたとしても。

 「この歳になって大槻ケンヂがクるなんて、俺たちどうかしてるんじゃないのか?」とは課長の弁。

 そんなこんなで待ち望んでいた秋到来! 連日の30℃越え! それが過ぎたら突然の冷え込み! 季節よ呪われてあれ! このような気候に強い見方。壊れていた給湯器が劇的な復活を遂げたので、私はハッピィだ。劇的な復活と言うか、新しいのになった。前のは室内につけてたら一酸化炭素中毒で私が死ぬらしく、ガス会社が「外に出さないと直さねぇ」と頑として譲らず(私は2ヶ月ほど水風呂を余儀なくされた)、業を煮やした大家さんが新しいのを買ってくれた。

 設置を見届けるべく家でボーッとしていたところ、大家さんの「あーッ! 熱い!」というあられもない悲鳴。その後、取り繕う姿勢を一切見せず「……直りましたよ~」と来た日には目頭が熱くなった。新しい給湯器は、大家さんの悲鳴の通り、F1のアクセル・ワークばりの慎重な温度調節が必要なハード・コアなヤツで、それを扱う私の目付きは一日のうちで一番キリッとしてると思う。





2007⁄10⁄23 23:32 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(0) trackback(0)







 That's my soul up there


 本当のおかっぱにって何回も云ったのに、意気地なしの床屋め

 これは穂村弘の『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』という歌集に収録されている歌で、私はこの歌がとても好きなのです。何度も短くって云ってるのに何だかんだで結局現状維持の髪形……意気地なしの床屋め!

 待ち時間1時間、実際切るのにかかった時間20分というあたりにちょっと納得いかないものを感じないでもないが、それより問題はゴスい格好をした新人さん。その左目には闇夜を照らす眼帯! 眼帯!

先輩床屋さん  :「ゆが待ってる間、眉を整えててくれます?」
ゴスい床屋さん :「あの、左目が見えないので……」

 「……ファッションじゃないんですか?」と聞くと、「本当にモノモライで」と蚊の鳴くような声。それを覆い尽くさんばかりの周囲の床屋さんズの「やっぱり!」「ほらやっぱりそう思われた!」という声。なんだその危惧。最終的に「明日から普通の格好しておいで」と、膝あたりに十字架の刺繍が施された凄まじいジーンズをはいた年配の美容師さんは諌める。なんか……すまぬ。

 かくも普通とは難解であるのだが、それにつけても「短くして下さい」「じゃあ髪を梳いて短く見せる方向で」というやりとりの不条理さよ。短く見せるとかじゃなくて、短くしてくれって云ってるのに! 意気地なしの床屋め!





2007⁄10⁄22 00:42 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(3) trackback(0)







 音楽だけが悪に拮抗する


venomous


RINGWORM / The Venomous Grand Design (2007)

 『Justice Replaced By Revenge』アルバムで初めて知ったのだが、これがまぁたいがいかっこよかったんだが、今回もまたいいなぁ。バンド名で検索したらイヤってほど皮膚病のグロ画像を拝めるRINGWORMさんだ。

 彼らの音楽を一言で称するならmetal coreということになるだろうが、巷のそれとはちょっと違う。90年代の叙情的なdeath metalをギクシャクした感じで演奏する昨今の優等生的なそれとは違い、VENOMやMOTORHEADが持っていたrock'n'roll成分がhard core方向に激化し、初期METALLICAと肩を並べながら別方向に進化したような、渋くて熱いことをやっている。

 さて今回の『The Venomous Grand Design』アルバムと来たら、AGENT STEELやARTILLERYあたりのしっとりエモーショナルなthrash metal(それは緊張感ややさぐれっぷりの点でメロデスと遠く隔たる)を彷彿とさせる実にイカすリフの大攻勢でもうクラクラだ。

 リズム隊はバッキリ縦割り/大雑把に猪突するし、ギターも錆びた鉈のように中音域が強いトーンであるあたり、なるほどhard core畑に分類されるだけあるのだけど、86年あたりのギンギンに研ぎ澄まされきったgerman thrashばりの切れ味を併せ持ってしまうという困った事態に。これは好き者どもが色めき立たざるを得まいよ。

 割れ歪んだ声で怒りと呪詛を撒き散らすヴォーカルも大変勇ましく、日常の惨めなことだの不条理な感覚だのとの決闘の場において頭の中で鳴らすに似つかわしい、目に力の入るフルボッコ系の名盤でございます。おりゃー。





2007⁄10⁄21 00:42 カテゴリー:音楽の話 comment(0) trackback(0)







 That's my soul up there


 『インランド・エンパイア』を見ようとしたらばですね。熊本、市街地の映画館が次々と壊滅していっているらしいじゃないですか。地図にあるポイントに行ってみれば何かしら骨格的なものしかなかったりして、足元がグラグラしてくる。

 家に帰って、電話帳の「映画館」のページを開き、地引網的に電話をかけてみる。「うちではやってないですねぇ」という返答の連続で「デヴィッド・リンチの映画が熊本でしか上映していない」という不気味な事態それ自体が私の妄想なのではないかと思えてくる。

 3軒目でようやく「やってます」という返答! おい、ネットで見た地図とてんで違う場所じゃないか。

 夜、映画館ににじり寄る不吉な影であるところの私。妙に幅の狭いエスカレーターで映画館に到着し、清潔感を過剰に演出している節のある扉を開けるとそこは直でカウンター。売り子さんは私と目が合うなり「『インランド・エンパイア』、一般の方は1800円ですぅ」とのたまう。何故私がそれを見に来たと分かるのだ。

 私がキモいからか?

 その後、ロビーでぼんやりしていると、入ってくる客は不潔な感じのする男2人組み、妙に甲高いアニメ声の中年女性と片言の日本語を操る中年男性、そして半端に髪が伸びた陰気な男(私)という顔ぶれ。とにかく先述の熟年カップルが怪しすぎる。何かの兆候ではないか。いや、そもそもこれは本当に現実なのだろうか。

 かくも上映前からリンチ的。





2007⁄10⁄20 00:38 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(0) trackback(0)







 That's my soul up there


 『インランド・エンパイア』凄かった!

 モノクロームの薄暗く長いホテルの廊下に顔がぼやけて見えない男女が立っていて何かを話している。部屋に入ってダーティ・トークが始まったかと思えば画面は砂嵐に覆われ、それが女の子の見ているテレビだと解る。女の子はポロポロ涙を流している。砂嵐がじょじょに風景に変わり、ある部屋が映し出される。

 そこでは3人のウサギ人間が話している。女性ウサギ人間と思しき声のあと、必ずスタジオ内でわざとらしい笑い声が上がる。それを見てポロポロと涙を零す女の子。男性ウサギ人間が部屋の外に出ると、そこはホテルのロビーのような瀟洒な空間。椅子が3つ。ガラの悪い男がその椅子のうち2つにフェード・インする。ポーランド語で何事か喋っている……。

 こんな混沌を開始5分に満たない時点で詰め込まれ、あっと言う間に振り落とされる。パンフレットには「物語は四重構造」と書いてあったが、私が見た限り、九重構造から十二重構造あった気がする。しかもそのそれぞれのレイヤーが、メビウスの輪のように捩れて接合されていたりするから、もう脳のジンジンがとまらない。

 『インランド・エンパイア』に関して。あれは<孤独の巫女の地獄巡り>なのではないかと思った。主人公はひょんなことからそのロールに名指しされ、無理解や恐怖や不安や劣等感や嘲弄や……そんな悪夢の遍歴を辿るのだが、それがある種の通過儀礼のように思えてならない。

 「未払いの請求書」「9時45分」「夜中過ぎ」「動物を馴らすのが上手い」などといった符号によって時空間が捩れる形で繰り返される悪夢こそ、<何かを隠す身振り>ではないか。<抑圧されたものは回帰する>という言葉があるけれど、何かを隠しているということは、そこに何か抑圧されたものがあるわけで、トポロジカルにこう……。

 「お前リンチを理解したと思ったろ? おしおきに今から『ロコモーション』見せてやる」とは伊集院光がこの映画を評した言葉。私、生まれて初めて映画のパンフレットとか買っちゃったよ。以下にデヴィッド・リンチのインタビューを引用する。

――この映画に出てくる3匹のウサギについて説明してください。
デヴィッド・リンチ それは出来ない。

 Garden Cinema Express『David Lynch's INLAND EMPIRE』p.38





2007⁄10⁄19 00:37 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(2) trackback(0)







 音楽だけが悪に拮抗する


powertrippin


THE ALMIGHTY / Powertrippin'

 "Jesus loves you...but I don't"をどうしても聴きたい/聴かねばならない/らめぇ!"Jesus loves you...but I don't"出ちゃうぅ!/お前の"Jesus loves you...but I don't"を悪魔に捧げよ……そんな気分に襲われたので中古盤屋さんを巡りに巡ってTHE ALMIGHTYの『Powertrippin'』アルバムをサルヴェージしてみて驚いた。一体なんなんだよ、この変態バンドは。

 最近のANTHRAXのような(PANTERAのような、ではない)重くて硬くて丸い物体がボンボン跳ねているようなリズム隊の上、澱んだグランジ風のリフとTHE HELLACOPTERSあたりに通じる憂いを含んだrock'n'rollが悪魔合体、80年代の空気を胸いっぱい吸い込んだ世代に特有の、どんなに攻撃的な怒号や強烈なリフであっても決して歌心を忘れないという志の高さが全体を包括する。

 ヘッドダウンで澱んだ曲を重く鋭くスラッシィに「俺ら、オーバーグラウンドですが、何か?」面で演奏するなどと、それは……それはこの世ならぬ存在ではないか!

 MOTORHEAD直系の爆走チューン"Powertrippin'"がかっこいいのは当たり前で、"Over The Edge"、"Sick and Wired"や"Takin' Hold"あたりのギャンギャン五月蝿い中にしっとり憂いが漂う曲も大変に麗しく、荒馬をギリギリ手綱で押さえつけているかの勢いフルなミドルテンポの"Possession"なんて実によろしゅおすなぁ。

 "Jesus loves you...but I don't"は悲哀と抑えた怒りが滲むマーチ調のアコースティックバラードがガンガン盛り上がっていくステキな曲で、今聴いてもやっぱりかっこよかった。実際聴いてみて「この程度だったっけ?」ってなるように、記憶の中で美化されてるんじゃないかって危惧していたのだが。ベースがリード楽器然と歌う珍妙な曲だな、という新しい発見。

 Ricky Warwickの声はかっこいいねぇ。





2007⁄10⁄18 00:12 カテゴリー:音楽の話 comment(0) trackback(0)







 That's my soul up there


 休日出勤中、何の前触れもなくデヴィッド・リンチ分欠乏にみまわれ、『インランド・エンパイア』が見たくてしょうがなくなるという奇病発症。課長をも巻き込み、ちょっと端っこ気味の映画談義に花が咲いた。この課長は以前、「ゆさんなら解ってくれるはず」と無根拠も甚だしいことを仰りながら『ロッキー・ホラーショウ』のDVDを貸してくれたことがある。

 『ロッキー・ホラーショウ』はトランスヴェスタイト(衣装倒錯者)星から来た、ガーターベルトに網タイツ姿の博士(同性愛者)がムキムキのマッチョのホムンクルスを作るというミュージカルだった。登場人物が全員ガーターベルトに網タイツ姿になり、幻想的な劇中劇に飛翔するラストを見るにあたり、非常に忌まわしいことに、なんだかステキな余韻が残る。

 そんなこんなで「課長なら解ってくれるはず」とばかりにデヴィッド・リンチの魅力を力説する私だが、力説すれば力説するほどふたりの距離は離れていくばかりで。「男がハンカチにカプチーノを吐き続けるんですよ」とか「小さい老夫婦が何か超罵倒してくるんですよ」とか「暗闇から妙に肌の白いカウボーイが出てくるんですよ」とか、説明している自分の正気を疑う。

 ……でも、本当にそんな映画作ってるしなぁ、デヴィッド・リンチ……。

 そんなこんなで『インランド・エンパイア』、調べたところによると、女優のオーディションの話と女優が演じる物語の話とウサギの家族の話が入り乱れる3時間らしい。く、狂っちゃうんじゃないかな……。上映館を調べたら、近辺では熊本でしかやっていないという展開に至っては、最早哄笑を禁じえない。

 また熊本か!





2007⁄10⁄17 00:17 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(0) trackback(0)







 That's my soul up there


 これはちょっと前の話。

 夏の風物詩であると世間一般に認知されているらしい甲子園だが、私は勿論興味がない。野球をしたいという<欲望>がいまいち解らないし、それをわざわざ夏の炎天下に泣いたり笑ったりしながらせねばならないとなると考えるだけで熱が出そうだ。そんなことするぐらいなら蝉に生まれ変わりたい

 そんなわけでフロアでのトトカルチョに関してもまったく冷淡に適当な数字に賭け金を置いたのだが、佐賀が、佐賀が。試合も終わるギリギリで夢のような満塁ホームラン(打者はしばらく<知人>を称する人が増えるだろう)。降って湧いた私の一人勝ちという異常事態。甲子園ってステキだわ。

 そんなこんなでちょっとしたお金を手にしたのだが、さっそく課長に「この前の飲み会代」と3000円押収される。あ~……あの私がずっと連れて来られた子供の世話をしてた飲み会なぁ……。「お兄ちゃん、『ゲキレンジャー』の話解らないから『電王』」って言ってもてんで聞き入れてくれなかったそのお子様の無尽蔵の体力とテンションは、今思い出しても寒気がする。

 残ったお金は、フロアの人たちにアイスをご馳走して富の再分配です。せっかくだから何かネタ的なことを、とハーゲンダッツのアイスを20個程コンビニでかき集める。レジで「5100円になります」などと天文学的なことを言われ、足元がグラグラになる。コンビニで5000円の買い物をしたこともなければ、アイスだけで5000円も請求されたことも初めてだからだ。

「……流石に美味いな……」
「高いだけは、あるな」

 何かとんでもないことをしたような気がして顔面蒼白な私ですが、そう言っていただけるとネタ冥利に尽きます。しかし、普通のアイスの2倍以上の値段がついたアイスはなんて言うか、うん、流石に美味しかったよ。





2007⁄10⁄16 00:16 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(0) trackback(0)







 引用009 『短歌という爆弾』


 私は短歌の進化論を信じておらず、この詩型に様々な新しい表現要素が付加されて総体として前へ進んで行くというヴィジョンを持つことができない。その一方で、共同体的感性のなかに万人に共通する願いのような普遍性を実感できたこともない。先人が見い出した大切なものを見失わずに経験を重ねれば誰もが等しく豊かな境地に達する、などという考え方は悪だと思う。

 ひとつの歌と出逢うことはひとつの魂との出逢いであり、言葉の生成も変化も、すべては魂の明滅、色や温度の変化に連動しているように感じる。魂を研ぎ澄ますための定まったシステムなどこの世になく、その継承は時空間を超えた飛び火のようなかたちでしかあり得ない。ひとりの夢や絶望は真空を伝わって万人の心に届く。

 だが、このような考えはほとんど妄想に近いもので、実際的には役に立たない。そのために現実的な試行の局面で迷うことの連続であるが、夢の透徹性とはそのような迷いと表裏一体のものだと信じたい。次の一首を生み出すものは経験でも言語感覚でもなく、無色透明のひとりの信仰であり、極彩色の夢への憧れだと思う。

  穂村弘/『短歌という爆弾』pp.241-242





2007⁄10⁄15 00:43 カテゴリー:引用、もしくは考えるべきこと comment(0) trackback(0)







 That's my soul up there


 早くに(と言っても1時間程度の残業の後だが)帰れた同僚と私であるのだが、ひょんなことから会社には帰りたくない/家には帰れないという事態に見舞われた。私はパソコンにシューッてするスプレーを、同僚はipodにつける何か卑猥なものを、と目的が一致し、近くの電化製品屋さんに行くことになった。

 まるで呼吸をするように熱暴走でpichunするうちのパソコン様だが、これはファン付近に埃的な何かが付着していて、空冷が満足に行えていないからだろうと、随分前から思ったり指摘されたりしていた。その埃だか霊廟の砂塵だかを取り除くのが、<パソコンにシューッてするスプレー>なのだ!

 ……たかだか凄い勢いで空気が出るってだけの商品が500円するんだもんなぁ……。

 ともあれ。「おもちゃ売り場に数瞬付き合ってください!」と言われ、色々おもちゃを見る。最近のプラモデルはかっこいいなぁ。同僚の、ヤンキー漫画のキャラクターのフィギュアに対する熱視線は私の理解の及ばないところだが(なんでも、オークションで高値で取引されているらしい)。

 さらに数瞬、ゲームコーナーに行くことになる。CAVEのシューティング・ゲームを触ってみたりしつつキャッキャ言っていたら、先述のデザイナーさんが馴れた調子で現れる。本気のシューターの、自機がこう、うぴうぴと左右に顫動するプレイを見せ付けられ、座尿。





2007⁄10⁄14 00:40 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(3) trackback(0)







 音楽だけが悪に拮抗する


riseofthetyrant


ARCH ENEMY / Rise of the Tyrant

 聴きましたのです。hard rockから離陸出来ていない、または、hard rockを忘れていない頃のheavy metalっぽく、パワーコード一辺倒ではない、カラフルなコードワークが聴けるdeath metal。このあたり、Micheal Amottって80年代初期が心底好きなんだろうな~と思った。

 ギター・ソロにしてもちょっとフュージョンがかっててほんのりお洒落ですわ。Angela Gossowも頑張ってて、色んな面白い音を喉から出していらっしゃる。曲のテクスチャーだって近年の作品にしてはギラッと光るものもちらほら見られる。

 ただもうそれほどブルータルでもなくモダンでもなく、さりとて予想の範疇を超えず別に熱くもないと来ると、一聴したときの好感触は薄れるばかりで。これを聴いてて何故か矢も盾もたまらなくなりTHUNDERHEADの『Classic Killers Live』を借りに行ってしまった。

 ゴリゴリにMOTORHEAD直系っぽい男臭さと熱さを撒き散らしながらも美しいコード進行を駆使して懐の深さを垣間見せ、そこにほとんど唐突に流麗なツインリードが滑り込んだかと思うと、リズム隊の重く鋭い切れ味と来たら恐ろしいほど! 俗っぽくて好きじゃなかったバラードも、今聴くと詩が沁みて泣ける泣ける。

 かっこいいバンドだったなぁ、THUNDERHEAD。





2007⁄10⁄13 00:37 カテゴリー:音楽の話 comment(3) trackback(0)







 引用008 『ピカルディの薔薇』


 おれは、餓えていないと南国洞はいった。今のおれを満たしているもの、ハナの老人を倦ませたもの、そして南国洞が得られなかったもの……彼はけっきょく気づかなかった。小手先の知恵ではない。運や風向きでも、またなにかを捧げて手に入れるものでもない。血と泥にまみれながらの道程そのものなのだ、表現とは。

「さて」とおれは家人を振り返り、「仕事に戻る。忙しくなかったらお茶を淹れてくれ。おれはいいものを書いて、家賃を稼いで……いつかすこしは贅沢もしよう。そういう冒険だよ」
 彼女は小首を傾げて、家のなかに入っていった。桃色のセーターの残像におれはささやきかけた。「大冒険だ」

  津原泰水/『ピカルディの薔薇』p.213





2007⁄10⁄12 00:50 カテゴリー:引用、もしくは考えるべきこと comment(0) trackback(0)







 That's my soul up there


 「webマスターが一番スキル着くから」というなんか凄そうな理由で、望みもせぬwebマスター街道をひた走っている私だが、最近その理由が見えてきた気がする。よく解らない業務を無茶振りされ、何のためにあるのか解らないソフトを使う羽目になり、おっかなびっくり使っていて「バックアップ取ってれば問題ないんだよ!」と開眼。

 俺は! 基礎をすっ飛ばすことを! 恐れない!

 つまり、よく解らないなりにソフトに精通せざるを得なくなり、それを積み重ねることによってソフトに対する「負けない心」が養われるんじゃなかろうか。負けない心とはこれすなわち「予備のデータを取っていれば、パソコンが突然結晶化でもしない限り取り返しのつかないことにはならない」ということである。

 そのように私を遇する課長サン、「ゆさん、台風だから遊ぼう!」とウキウキハイテンションなお言葉。仕事が終わってご飯を食べに行く場所を原付で探し回る。勝手知ったる町並みが、サングラスをかけねば雨で目が開けられぬ/サングラスをかければ暗くて見えぬという死地に!

 連絡を取ろうとしたら携帯電話の挙動がおかしい。なんとか合流して雨合羽を脱ぎ、ポケットから携帯電話とipodを取り出してみると、滴る水。雨合羽のポケットには水溜りが出来ていたとさ。携帯電話とipodの両方を失った夜。地鶏の炭火焼、おいしゅうございました。





2007⁄10⁄11 00:46 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(0) trackback(0)







 That's my soul up there


 これはちょっと前のお話。

 偉い人が通勤に使っておられる駅の前に半年ほど工事中だった居酒屋予定地がついにオープンしたということで、ご一緒したら、そこがまた普通に美味ぇの。しかも私の家と偉い人の家と先輩の家の近くにあるらしく、私の首に縄がかかった構図だ。

 「悔しい! みんながゆを大事にする!」とは佳い人の弁。

 以前大騒ぎしていたタバコの焦げ跡が付いちゃったシャツ、私はとても気に入っていたのだけど、流石に穴が開いたシャツを着て泰然としていられるほどの大器でもなく。修理するまでデッドストックになっていたのだが、修理から戻ってきて袋から出してびっくり! 穴なんてどうでもよくなるレベルで満遍なく黄色だか茶色だかに変色している!

 生まれて初めて、漂白剤で揉みあらいという稀有な体験をした。お風呂場でシャツとジャブジャブ格闘していて、なんだか人生が酷くシンプルなものに感じられたよ。





2007⁄10⁄10 00:44 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(3) trackback(0)







 引用007 『アラビアの夜の種族 Ⅲ』


 母親のズールムットがいう。「守らなければならないのですから。物語は不死ではないのですから」
「しかし、譚りによって不滅になる?」
「なります」
「そうか……」アイユーブの声音がいちだん深いところに、没んだ。「永続化」
 それに対する反応はない。ただ物語る母親の気配だけが暗闇の中でほほえんだ。
「永続化……永続化?」とアイユーブがみずからに問うように、かつ夜の種族(ナイトブリード)の全員の意思を問うように、囁いた。ことばの温度が下がり、ことばの重量はきわめて重い。「ひとりの人間が不滅になる。魔法か?」
 もちろん空気はうなずいた。
「不死の。自己の永続化。恒久に譚られて、そして生きる。物語として生きつづける。まるで、まるで……」
 その瞬間、アイユーブは「まるで歴史の譬喩(メタファー)だ」とつづけたかったのかもしれない。

  古川日出男/『アラビアの夜の種族 Ⅲ』p.360





2007⁄10⁄09 00:42 カテゴリー:引用、もしくは考えるべきこと comment(0) trackback(0)







 That's my soul up there


 前の上司がしばしば後ろから股間を擦りつけてくることを除けば、仕事は順調です。

 ちょっと派手なジーンズをはいて仕事に行きましたらば、フロアの偉い人よりも偉い人に見咎められる。「かっこいいのはいてるな」「それは日本で買ったのか」「それはいくらだったのか」いえ、あの、年甲斐もない格好であることは重々承知しているのですが。

 しかし拙僧のジーンズなど、貴方のあの右足に浮世絵、左足に英字の何かがプリントされたミソクソにハイブリットなジーンズと較べれば、まだまだ。流石にあれは日本には売っていないだろうなと思った。その偉い人はそのジーンズに唐草模様のロングTシャツにスパイダーマンのTシャツを重ね着して颯爽とアメリカへ旅立たれました。

 ……もう、何人なのか少しも解らないよな……。





2007⁄10⁄08 00:40 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(2) trackback(0)







 That's my soul up there


 ちょっと前にイタバシさん strikes back!

 8月も終わりに近付き、どこか生物のテンションも静まりかけてきたころ、再びイタバシさんが遊びに来てくれたのである。手にはお土産、「マイナスイオン水使用、アルプスの紅塩使用」と誇らかに書き記された結局どこのものか判らない塩大福!

 何が食べたいかと、媚態を孕んだ調子で聞いてみたら、「今度はラーメン!」とのこと。参った。ラーメン屋さんが潤沢にある上、上京した学友の友人が「今日からお前のこと、『豚骨』って呼ぶから」などと屈辱的な扱いを受ける、私の住む土地ではある。しかし、行きつけの本当に美味しいラーメン屋さんはここぞという決定打に欠け、しかしショッピングモールの『ラーメン・スタジアム』なんてところには連れて行きたくない。

 かくして――『元祖長浜ラーメン』というところにお連れした。味はそこそこだが、暖簾をくぐった途端ラーメンを作り始められる/ラーメン以外に食い物がない/テーブルの上にはお茶の入った厳つい薬缶……というハードコアな雰囲気がアトラクションとして優れているからだ。屈強な店員が睨みを利かせており、粗相をしたら「スクールボーイはママのスカートに隠れてな!」とか言って追い出されそうな緊張感がいつ来ても私の背筋を丸くするぜ。

 ぶらぶら歩きながら話して、コーヒーショップでさらにチルチルしく過ごす。コーヒーショップでの飲み食いが夕食のラーメンの2倍の値段だったことに二人して世界の裂け目を見たかのような気持ちに。





2007⁄10⁄07 00:25 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(2) trackback(0)







 引用006 『他者と死者 ラカンによるレヴィナス』


 神を見たものは死ぬ。ことばの中でことばに生命を与えたものは息絶える。ことばとはこの死の生命なのだ。それは「死をもたらし、死のうちで保たれる生命」なのだ。驚嘆すべき力。何かがそこにあった。そして、今はない。何かが消え去った。

  内田樹/『他者と死者 ラカンによるレヴィナス』p.88
  Maurice Blanchot, la Part du feu, p.316





2007⁄10⁄06 00:23 カテゴリー:引用、もしくは考えるべきこと comment(0) trackback(0)







 That's my soul up there


 デザイン関係の仕事に4年近く従事していたらしい、凄腕のデザイナーさんが入ってきたのだけど、同僚が「あの人、絶対オタクですよ」と囁くのです。私に「一緒におもちゃ売り場行こう」っていきなり私をオタク扱いしたオタクの同僚が。

「いや、アニメとかはあんまり見ないっスね。youtubeでアップされてんの見るぐらいで」

 そうクールに言い放つ彼のyoutubeで見るらしいアニメの題名を聞いたらゴリゴリにハードコアなチョイスだったので、同僚は出来る人だなぁ~と思った。あとcaveシューターだそうだ。

 その彼に零戦(そう、あの飛行機の零戦だ)の話をチラッと振ったら「零戦は機体が優れていたのもありますけど、パイロットが凄かったんですよ。敵のレーダーに引っかからない距離で、相手の機体がキラッと太陽を反射するのを目視して、急上昇して背後から撃ち落としたりしてたんです」と猛然とした食いつき。

 オマエイイヤツダナ!





2007⁄10⁄05 09:31 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(0) trackback(0)







 引用005 『アラビアの夜の種族 Ⅲ』


 書物とはふしぎです。一冊の書物はいずこより来るのか? その書物を紐解いている、読者の前に眼前にです。読者は一人であり、書物は一冊。なぜ、その一冊を選んでいるのでしょう。ある種の経過で? ある種の運命で? なぜ、その一冊と――おなじ時間を共有して――読むのでしょう? 読まれている瞬間、おなじ時間を生きているのは、その一冊と、その一人だけなのです。
 一冊の書物にとって、読者とはつねに唯一の人間を指すのです。
 だから、どのような経緯で?
 強制?
 偶然?
 だから、運命?
 わたしは惟うのですが、書物はそれと出遭うべき人物のところに顕れるのではないでしょうか。
 書物じしんの意思で。

  古川日出男/『アラビアの夜の種族 Ⅲ』p.268





2007⁄10⁄04 00:24 カテゴリー:引用、もしくは考えるべきこと comment(3) trackback(0)







 That's my soul up there


 獣は火を避ける。それはGも同様であるらしい。

 ある暑い晩、「怖い」と泣く佳い人を「何も心配いらないよ」と電話でなだめたあと、ぼんやり本を読んでいたら、部屋の中でビニールがガシャリと音を立てた。ラップ音がただの家鳴りであったりするように、私は基本的にその類の話に関してあまりこの世ならぬものの介入を信じていない。

 信じていないと言うか、この世の原理で説明出来るものであるなら、この世の原理で処理すればいいと無理矢理自分を納得させている節がなきにしもあらずだが(だって怖いもん)。しかしこの度はまことに遺憾ながらこの世ならぬものの介入などではなく、不吉な黒い虫の仕業だったので、手もなく恐慌を来たす<抹消記号付きの主体>であるところの私だ。

 部屋を明るくし、箒と殺虫剤で武装し、隙を見せるのを待つこと4時間。明日も仕事でいい加減頭がグラグラするのだが、電気を消したら物音がするのだ。四股を踏んで部屋を揺らしてみても無駄で、ひょっとして物音は私の幻聴じゃないかと思われ始めたそのとき!「灯りを点けて寝ればいいんじゃないか」と天啓が私を射抜いた。

 かくて外敵から身を守るために灯りを点けて寝る生活は続く。灯りの元にいる限り、外敵から安全である。この思いなしが全ての慎ましい暗がりを光の元に引き摺り出し、繭のような全体性に対するオブセッションを呼び込む。これこそが、2000年の永きに渡りヨーロッパを精神の奥底から蝕んできた病理である!

 ダイナミックに話が逸れた。ともあれ、いざ寝らんとするその時間に一番神経が張り詰める生活に身も心もボロボロに擦り切れ、「もういいコロス」という言葉を口の中で転がしながら、出勤前の貴重な時間を使ってバルサンを買い、そして部屋をガス室にしてやったわい。これこそが、ヨーロッパの……。

 部屋に帰ってみると全ての音や気配が失せて、死よりも静か。





2007⁄10⁄03 00:20 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(2) trackback(0)







 That's my soul up there


 ある日、「どうしてこうも毎日渋滞出来るのか、それが不思議だ」などと愚痴の一つもこぼしたくなるような私の通勤経路が、元旦のようにガラガラに空いていた。ジリジリと肌を焼く炎天下、どれだけ走っても他の車に行き当たらない。まるで誰か他人の夢の中にいるかのよう。

 ひょっとして、この風景は死んだことに気付かない私の幻覚、あるいは事故を起こして意識不明の私が昏々と眠りながら見ている夢ではないか、と俄然不安になってきたところで、相変わらずの場塞ぎな市営バスだの指示器を出すことに性的なフォビアでも感じているかのクソッタレタクシーにいきあたったので、万事世はこともなし。

 隣の島の人たちがうわ言のように「だって俺たち、馬鹿だから」って言ってた。





2007⁄10⁄02 00:17 カテゴリー:白昼夢のような日々 comment(2) trackback(0)







 引用004 『パニックの手』


 絶望は何色だろうと考えたことがある。灰色? たしかに絶望を味わっている視界は色彩感に乏しく、あとで思い返せば灰色としか表現しえない。しかしその視界は、どこかに安堵を見出そうとしている飢えた視界でもある。飢えは希望と友達だ。というより希望があるからこそ人は絶望するのであって、となれば灰色は程遠い。真っ黒か? あおぐろい闇の色か? もっともらしい答えだが、私見によればそれはむしろ決心の色だ。盲信と疾走の色と言ってもいい。でなくてはなんで芸術を志す若者たちがああも上から下まで真っ黒いのか説明がつかない。

 自分なりの答が得られたと感じたのは、まさにクリムトの複製を眺めていた時だ。金色。視界を塗り込めて無抵抗を強いる、硬く不透明な輝きこそ絶望にふさわしい。現実から締め出された瞬間の、ドアの色に。

  ジョナサン・キャロル/『パニックの手』p.278 津原泰水の解説より。





2007⁄10⁄01 00:15 カテゴリー:引用、もしくは考えるべきこと comment(0) trackback(0)









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即「還俗した」などと抜かしてみる。


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