Happiness is overcoming your fears
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 Koenji Raining


 Nocturnal Endless Entrails Theatre......

 肉に飢えてゐた。私は美容師さんに尋ねる。「ここら辺で美味しいお肉屋さんありませんか」と。あまりにもヴィジョンが絞れていない。肉のイデア/大文字の肉。美容師さんはしばらく天井を見つめ、とても美味しいホルモン屋さんを紹介してくれた。私はそこに行く。

 ホルモンって、肉?

 ともあれ、友人が誕生日を迎え(そして誕生日パーティの時期をズルズル逃し)たし、その友人がとても大変な状況らしいので、急遽みんなでご飯を食べに行くことになった。体よく予約が取れたので、古本屋を巡る。とても楽しく。レヴィナスの『暴力と聖性』、佐々木中『夜戦と永遠』、ともに見つからず。

 ただし、マゾヒズム文学の嚆矢とされるマゾッホの『毛皮のマリー』を発見。以前も述べたように私の周囲に性的なマイノリティが溢れ、私はごくフラットな異性愛者であり、かえって私がマイノリティのような昨今、性的倒錯にはあまり興味がないのだけど、プレゼントとしては面白いかも知れない、と。

 両者あまり興味のない分野の古典を贈るというのは、程よく暴力的な気がして。

 かくして集りゆくMetal Headz In 高円寺。待ち合わせ場所の近くでどこぞの若者が「Mother Fxxker!」と叫びおり、そのこと自体がアトラクション的に喜んで貰えたのでよかったです。「頭の中の高円寺とあんまり距離がなくてよかった」とのこと。お肉はとても美味しかった。

「やった凹ませた! 酒うめぇ! 酒うめぇ!」

「このアルバム派手?」
「地味っス。アダルト・オリエンテッドっス」
「おとなのあじ!」
「夜のオカズっス」

私たち、今度はお花見しましょうね!
みんなで、きっと……。


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2011⁄03⁄17 21:00 カテゴリー:探検! 誰かの町 comment(4) trackback(0)







 Koenji Raining


 道半ばに在りて

 ぼんやりした頭で雑事をこなし、家に帰る途中、意を決した感を漲らせつつ裸のフォークギターを片手に凛然と広場に向かう兄ちゃんとすれ違う。至っている、若気が。それもちょっと気を失いたくなる程に高円寺的なメソッドでもって。

 手短に言うと、地震にあいましてん。なんかゆらゆらするなぁ、病み上がりだからかなぁと思っていたら、飲み物の表面がゆらゆらしており、「あれ? 揺れてるね?」と隣と確認しているうちに引出が勝手に開閉し始め、焦点も合わないぐらいの揺れが。

 なんだかふわふわした現実感の中、近くの公園に避難すると、身も世もないとばかりに泣き叫ぶ外国人の子供。ましてや地震なれしていない外国人、ましてや子供。「この混乱に乗じて、あの滑り台、やってみてぇな」と隣の誰かが呟く。見ると小さい子を抱いた若いお母さんがスーッと滑り降りている。

 う~ん、子供をあやす方法としては、どうだろう?

 ええ、エンドユーザのマネージャーが公園に到着した時、我々は「何こんなところで遊んでんだ!」ってアテレコして楽しみ、何だかんだあって解散。取り合えず、徒歩で何とか家を目指す。12キロなら徒歩圏内……とは言え、冷え込みと土地勘のなさと一人ではないこともあり、何とか知恵を絞ることに。散々っぱら迷い、休憩に呑み屋に入ればそこはしゃれおつなバーで激しく肩身が狭かったり。

 後輩君共々咳が止まらなくなったり、足の感覚がなくなってきたり、さらには携帯端末のバッテリーが切れそうになってきたところで、丸の内線が走り始めたという報が入ったのが午前1時。ダメもとで向かう。もう終電が終わってるかも知れない。そうでなくても人がいっぱいで乗れないかも知れない。駅員さんに恐る恐る尋ねる。

「はい。乗れますよ。今日は終夜運行です」

 その語調は矜持に障ったときの語調に似ていた。「人を運ぶと決め、その仕事をやり抜く覚悟在り。むしろその気遣いこそが恥」とのみ響きましたため、私たち、「すげぇ、本当に帰れちゃうよ」と。そのようであったからこそ、気分が悪くなったご婦人を、我々微力ながらもお助け申す。Tweetにて近所のクレープ屋さんが避難所として場所を開放していることを知る。曰く「水と暖房とクレープあります」

 クレープ……。

 もちろん、私が体験したのはただの不便以上ではない。今なお頑張り続けている人は数多くいる。故人を悼む暇もない苦しみの中にある人もいる。家族や自分自身の危険を脇に置いて頑張り続けてくれているインフラに従事している人たちには、何とお礼を言っていいかわからない。被災地とは何の関係もないところの人たちもリソースを廻そうとしてくれている。

 あの。リソースが余ってる人にお願い。Noblesse Obligeを何の衒いもなく、それと知らず実行出来ちゃう人が普通に何千人もいるという事態は、何て言うか破格に無茶苦茶なことで、数多くの賢人が、そりゃもうそれを語るだけで殺されちゃうような時代でも、ずっと捨てきらずに夢見たりあまつさえ書いたりしてきたことであることを時々想像してみて下さい。どうか我々が普通に整然として在る勇気を持ち続けることが出来ますように。

HAPPINESS IS OVERCOMING YOUR FEARS.
HAPPINESS IS OVERCOMING YOUR FEARS.





2011⁄03⁄15 21:00 カテゴリー:探検! 誰かの町 comment(0) trackback(0)







 Koenji Raining


 When the rain, the storm, and all is gone......

 どれだけ仕事が苦しくても、私の狂気のような健康への執着は止められない! 雨の日も風の日も雪の日も、帰り道は必ず中野から1駅歩く日々。私の墓碑銘にはこう記されることだろう。「肩が凝ったらロフトにぶら下がると楽、だってよ! こいつロフトの使い方理解してねぇ!」

 東京で冬を越すことが初めてなら、雪の降りっぷりを目の当たりにするのも初めて。極めて装甲の薄い<スーツ>なんてものを着用し、極めて登坂力に乏しい<革靴>なんてもので雪原を征く。馬鹿げている。あまりのディシプリンにその姿で雪遊びに興じもす。

 電話と蝙蝠傘が手術台で出逢うとはまさにこの事よ。

 やや頭がスッキリしたり、心が涼しくなったりするので、私はぽてぽて散歩するのが好き。中野と高円寺の間に「ラブ麺」なる、もう目にしただけで「イナフ!」と叫ぶようなラーメン屋さんがあり、健康と同時に達成しようとしているダイエットの邪魔をするにせよ。

 ラヴと言えばね。現場の近くには外国人用の幼稚園があるらしく、昼休みに公園で煙草を吸っていると私の膝ぐらいしか背丈のない小さな人たちがキャッキャ言いながら占拠しに来るんだけど、彼ら/彼女らの間で"Nobody loves me!!"と憐れっぽく叫ぶのがエッジな遊びである様子。先生が"No! I love you!!"と返すのが嬉しいみたい。ラカンの言う転移だ!

残響としての、静寂の音としての、愛の不在は。
残響としての、静寂の音としての、愛の不在は。





2011⁄03⁄07 21:00 カテゴリー:探検! 誰かの町 comment(0) trackback(0)







 Koenji Raining


「俺たちが今日ここに集ったのは偶然じゃねぇ。運命でもねぇ。何だと思う?」
「……愛?」
「チッチッチッ……"ブッキング"って言うんだぜ。覚えて帰ってくれ」

 イタバシさんに連れられてライヴに言って参りましたよ。それはホームタウン高円寺、無力無善寺というライヴハウス。もう店の名前からしてややこしい。下見をしに行ったら、アジテーションだか前衛詩だか判んないものが書きなぐられた無数の張り紙と奇妙な像。一目見て彼岸だと理解する。

 以前怖いもの見たさで高円寺のプログレ喫茶(複雑な音楽を聴きながらお酒呑んだりするところ)に行った時の恐怖が甦る。どう考えても君の家だろう、ここは。カウンターは禁煙。入って早々に出る機会を逸する。高円寺は稀に牙を剥く。友人曰く「前友達が来たときは、常連さんと囲碁やってたよ」とのこと。

 さて、その無力無善寺に入ってみると、スキンヘッドの壮年がポシェットを携えて立ち塞がる。「お客さんですか?」彼の名札には「加害者」と記されている。大きなHello Kittyの薄汚れた壁紙/吊り下げられたぬいぐるみ/謎の祭壇/政治論/経典:傷ついた自意識の流す血膿。

 そして、ああ、ライヴは。「人生50から! 50になっても! いいことがなかったら! 死ね!」というショートトラックが実はもっともクリーンな歌詞だったかも知れないという地獄。半裸の男がくねりながら長唄(?)を吟じ、赤い着物の女はダークサイド昭和な散文を詠唱しながら、それをエフェクターで変な音に歪めてゆき、まともなバンドだと思った彼らも歌いだしは「コンドームを忘れた」だ。

 わけても。日比谷カタン氏は本当に凄かった。クラシックギターの弾き語りなのだけど、何処かから笛のような音が聴こえてきたかと思えばそれは声であり、会話と演奏、ボサノヴァ、ラウンジ、フォークを縦横に行き来していながら、それは一貫してエモーショナルでキャピタルな<音楽>であった。フレンチ風のお洒落な曲調でも、歌っている内容は剃毛であった。「僕の剃刀さばきに何か問題でも?」

 アルペジオからフラメンコ風のトリプレット(タタタ・タタタ・タタタってヤツね)を経て、殆どBlack Metalのようなフルシュレッドに至り、耐え難い緊張感を演出したかと思えば、HipHop調になり、スムースに小沢健二のカバーが差し挟まれる。ギターは一本でオーケストラに匹敵するという言葉が腹に落ちる。技術が卓越していることの素晴らしさを知る。

 そのような。お洒落なカフェや古着屋ではなく、前衛がとぐろを巻いている怪しげな魔界。いわゆる「俺たちが自慢されたい中央線/俺たちが自慢されたい高円寺」を堪能し、イタバシさんと中華料理を平らげながら音楽の話などに興じるサタディナイト・デモーニッシュ・サタディナイト。

イ「あー広告デザイナーの人なんだね。なんか納得」
ゆ「そう!?」
イ「いや、あんだけ音楽出来るのは気味悪いけど」





2011⁄01⁄27 21:00 カテゴリー:探検! 誰かの町 comment(2) trackback(0)







 Koenji Raining


 Grave New World and Brand New Poverty!

 堕落したことがしたくなったため、近くのマクドナルドでジャンクフード然とした食べ物を買い込んで、『ゴスロリ処刑人』ってDVD見てやろうとうきうきしていたら、老人だらけだった。「これが日本の新しい貧しさの表れだったらイヤだなぁ」と、酷く暗澹たる気分になる。

 何年か前、スターバックスで一人、抹茶ラテを飲んでる老婦人を見て「ああ、何かハイカラなことに興味あったんだな」とほこほこした気持ちになったのだけど、今回のそれはちょっと意味合いが異なるように思える(ブランディングに踊らされてるだけかもだけど)。あのさ、私が言うのもなんですが、生活が雑になると、色々荒れちゃうよ?

 でも堕落の儀は粛然と執り行う。『ゴスロリ処刑人』に関しましては、冒頭コンビニから買ってきたっぽいパスタを頬張りながらがっつくように煙草をふかすチンピラが延々写しだされ、「ああ、ろくでもないことが起こりそうだ」という期待に違わず、とってもろくでもなかったです。

 外気うめぇ! 外・気・う・め・ぇ! 取り立ててすることもなく虚無的な目付きでダラダラ歩きながら外気を堪能する(空気は当然ではないのだ!)。Shibuyaに向かう途中愛用のPコートのボタンが取れましてん。ああ、用もないのにShibuyaくんだりに足を運ぼうとするからこんなことに。高円寺のとある商店街にて、直しをしてくれそうなクリーニング屋さんに駆け込む。

 何だか落ち着きなく忙しそうな爺様に見せたらば「一時間後ぐらいに来い」とのこと。アウターなしで外気浴は無理だよ! 「裏ボタンもつけて補強しておきました。100円下さい」わ、凄い。たとえ私が粉々になったとしてもPコートのボタンだけは無事であることでしょう!

その指の傷は尊いもののようでしたよ。
その指の傷は尊いもののようでしたよ。





2011⁄01⁄19 21:00 カテゴリー:探検! 誰かの町 comment(0) trackback(0)









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職にちょっと馴れてみれば
即「還俗した」などと抜かしてみる。


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